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2010.11.22

【2010-11-22(mon) amori】

 

 

SHEENAの新作のタイトルは「Cloud Cuckoo Land」というらしい。
先日、一緒にライブをしたときにはメンバーの数が12人になっていた、
ボクも記憶があいまいなので何人から12人になったのかは判然としないが、
とにかく12人に増えていた。

そして新譜に関してもいつどこで入手したのかはわからないが、
ボクの手元にあるので、ジャケットを開いてみたら、
We Would like to thank…の欄にSIBERIAN NEWSPAPERの名前があった、
なかなか嬉しかった。だから、お礼をしないといけないのだ。

初秋の小雨のなか、FM OSAKAのラジオスポット収録の都合でボクは単身
SHEENAのスタジオに朝早くに呼び出された。「駅の改札口まで来てください」との指令を受けて2分遅れで地下鉄の改札に到着すると、
もうSHEENAのメンバーから、東京の雄作に対して「阿守遅刻」の一報が
入っていたらしい。彼らにとって雄作はシベリアンの学級委員扱いだろうか。

収録の途中、SHEENAの洋祐に今回はどんなアルバムに仕上がったのか尋ねると、
「今回のテーマは旅ですね」というなんの面白みもない返答があった。
あなたは旅をしたことがあるか?と問うと、2週間だけしたことがあるという。
だったら、そのたった2週間がぎゅっと詰まった一枚ということか?と聞くと、
いや、そうじゃないという。まあ、当たり前である。

そんな大坪洋祐のミニマム・ジャーニーを聴かされたところで、
まだ実家の母屋に帰って白湯か茶だかわからんもんを飲みながら、
婆さんの念仏を聞いてるほうがありがたみがありそうなものだ。

音楽を言葉に置き換えるのはとことん難しい。
無理ではない、本人が詩人であるか、数学者であるなら。
当然、ボクもシベリアンの新譜がどんなアルバムなのかと問われれば、
言葉に窮してしまう、ようやくひねりだして「魔法です」と言う。

そもそも、旅とはなんであろうかと風呂で考えた。
いろんな国に行くのも旅、知らなかった人と巡りあうのも旅、
都会から都会を移動するのも旅、徒歩4分のコンビ二まで行くのも、
本人が旅だと言い張ればそれは旅として成立するだろう。
どこからどこまでが旅で、どこからが旅じゃないのかが、
言葉の定義上、とてもあいまいに作られているいるのが旅である。

辞書にはこうある「住んでいる所を離れて、よその土地を訪ねること。」
衣食住の住の部分での変革を、旅というのかもしれない。
しかし、旅行会社や世界の車窓からや絶景特集など、テレビから流れてくるのは、ロマンあふれる演出ある旅であり、人生いろんなところへ行きましょう、
そこには素朴な心の原野が広がっています。のような妙なキャッチコピーがつき、まるで映画でも見に行くようにと旅をすすめてくる。

これは旅でもなんでもなく、ただの経験である。

「住んでいる所を離れて、よその土地を訪ねること。」と説いたのは誰か。
どうして、住んでいるところを離れる必要があるのか、
よその土地を訪ねてそこからどうするつもりなのかにおいて、
一切ふれていない言葉が旅である。

そう、本来の旅というのは「旅」というパッケージングされた概念ではなく、
人間誰しもが持つ欲求、ありとあらゆるコミュニケーションの断絶と
再構築を意味するものではないだろうか。

理由は人それぞれである、人それぞれであるが、
根本的な原因はボクたちが人間であるからだろう。

SHEENAの音楽を語るにこのままいくと農耕民族、狩猟民族などの話にまでさかのぼってしまうので、この辺でバッサリ切り落とそう、これも旅である。

旅というのは誰でも自然にしていることだし、パスポートが必要なわけではない。
旅そのものの言葉の本質が、曲解してとられている今にいたって、
このアルバムを旅ですと言ってしまってはいけない。
ブラウン管向こうの車窓と同じレベルに考えられてしまっては、

申し訳ないほどの沢山の音が詰まっている。

人間の仕事が詰まっている。

ボクたちは歴史であったり地理であったり、宇宙であったりを教えられながら、
歴史の最初も最後も知ることは出来ない、宇宙なんてのはもっての他である。
みんなどうにかしてそこに決着をつけたかったから、神話が作られ、
宗教が作られ、ずっとずっと最初と最後を知りたかったのではないか。

知ってしまったがうえに、もう後戻りできなくなってしまったのが、
人間である。だから、生まれたときから旅をさせられている。

概念としての旅はそういうことなんではないだろうかと考えた。

SHEENAの音楽はボクにはこう聞こえる

「旅をしていることを忘れるな、アンタが孤独になっても俺らがガヤガヤと音を立てて、もう一歩前にでる勇気を貸してやる」と

彼らの音楽はドワーフ的に聴こえ、
今回のアルバムは「突き進め、突き進め」というメッセージがこめられている気がした。

そして、突き進んでみたはいいが、あとは俺らは知らんという
音楽人としてのデリカシーを感じられる作品に仕上がったのは、
彼らが本当に音楽が好きだからなのだろう。

そう、音楽家に出来ることなんてただひとつ、
音楽がない世界よりはマシってことだけだ。

同じ若い世代の人たちのささやかな野心のみすぼらしさ!
まじめにはたらき、サハラ砂漠を灌漑する。
LPセットときれいな妻と
いい子どもをもつこと。
週に一度は教養をえようとつとめる。
確実な価値(正直、洗濯機、サン・テグジュペリなど)をえらぶこと。
ああ、なんとむなくそのわるい計画!
こんなものは飼いならされた家畜の思想だ。
洗濯機を中心に夢想はできやしない。
もちたい、もちたい!彼らすべてのものをもちたいとのぞむ。
いったい彼らにとっては何のために生き、
また死なねばならぬというものは存在しないのだろうか!


寺山修司「家出のすすめ」?だったかな…忘れた
誰かの娘の言葉からやったような気がしたが、失念。